壁をすり抜けるミクロの粒子?「量子トンネル効果」の不思議と身近なテクノロジー
日常生活において、目の前にある頑丈なコンクリートの壁を、何もないようにすり抜けて向こう側に行くことは絶対に不可能です。ボールを壁にぶつければ跳ね返ってきますし、坂の頂上まで登るエネルギーがなければ、坂の向こう側へ行くことはできません。
しかし、原子や電子といった極小のミクロの世界に目を向けると、エネルギーが足りないはずの粒子が障壁を「すり抜けて」しまう不思議な現象が日常的に起きています。これが量子力学の代表的な奇妙な現象の一つである「量子トンネル効果」です。この現実離れした現象のメカニズムと、実は私たちのスマホや暮らしを支えている身近な技術への応用を紐解きます。

粒子が「波」として振る舞うとき
なぜ、粒子は壁をすり抜けることができるのでしょうか。その鍵は、ミクロの粒子が持つ「波と粒子の二面性」にあります。
アインシュタインやデ・ブロイらの研究によって、電子などのミクロの物質は、粒子としての性質だけでなく、空間に広がる「波(物質波)」としての性質を併せ持つことが分かっています。量子力学では、粒子の状態はシュレーダー方程式と呼ばれる確率の波の式で表されます。

粒子がエネルギーの壁(障壁)に衝突するとき、古典物理学では壁の高さ(必要なエネルギー)に対して粒子の持つエネルギーが低ければ、100%跳ね返されます。しかし波として捉えた場合、壁の内部に進むにつれて波の強さ(振幅)は急激に(指数関数的に)衰退していきますが、ゼロにはなりません。
もしこの「壁の厚み」がナノメートル(10億分の1メートル)単位の極めて薄いものであれば、波の一部が壁を減衰しながら突き抜け、反対側にわずかに染み出します。波の振幅は「そこに粒子が存在する確率」を表しているため、これは**「障壁の向こう側に粒子が突然現れる確率がゼロではない」**ことを意味します。これが、まるで山にトンネルを掘って通り抜けたかのように見えることから「トンネル効果」と呼ばれます。
スマホの頭脳を支える「フラッシュメモリ」への応用
量子トンネル効果は、最先端の物理研究所の中だけで起きていることではありません。私たちが毎日使っているスマートフォンやパソコンのストレージ(SSD)、USBメモリなどの「フラッシュメモリ」は、このトンネル効果を利用してデータを書き込んでいます。
フラッシュメモリの内部には、電子を閉じ込めてデータを保持する極小の部屋(フローティングゲート)があります。この部屋の周りは「絶縁体」という通常は電子を通さない高い壁で遮られています。データを書き込む際、強い電圧をかけることで電子にトンネル効果を起こさせ、絶縁体の壁をすり抜けさせて部屋の中に送り込みます。
電圧を取り去ると、電子は再び絶縁体の壁に阻まれて閉じ込められます。これにより、電源を切ってもデータが消えない仕組みが実現しています。ナノスケールの微細化が進む現代の半導体技術は、量子トンネル効果を精密にコントロールすることで成り立っているのです。
原子を観る「走査型トンネル顕微鏡(STM)」
もう一つの画期的な応用例が、「走査型トンネル顕微鏡(STM)」です。これは光の代わりに電子のトンネル効果を利用して、物質の表面を原子1個のレベルで観察できる顕微鏡です。
鋭く尖らせた金属の針(探針)を試料の表面に限界まで近づけ(約1ナノメートル以下)、電圧をかけると、探針と試料の間にある「空気(または真空)という絶縁の壁」をすり抜けて弱い電流(トンネル電流)が流れます。
この電流の強さは探針と表面の距離に極めて敏感(わずか原子1個分の距離の変化で電流値が大きく変動する)なため、探針をスキャンしながら電流が一定になるように制御することで、表面の凹凸を原子レベルの精密さで立体的に描き出すことができます。
太陽が輝き続ける理由もトンネル効果のおかげ?
実は、地球上のテクノロジーだけでなく、宇宙の生命線である太陽の輝きもトンネル効果が支えています。
太陽の中心部では水素原子核(プロトン)同士が衝突してヘリウムに変わる「核融合反応」が起きています。プロトンはどちらも正(プラス)の電荷を持っているため、近づくと強い静電気の反発力(クーロン障壁)が働きます。太陽中心部の温度(約1500万℃)と圧力をもってしても、普通ならこの反発力の壁を乗り越えることはできません。
しかし、プロトンが量子トンネル効果によってこの反発力の壁をすり抜けることで、核融合反応が持続的に発生し、太陽は光と熱を放ち続けることができているのです。もしトンネル効果がなければ、太陽は燃え上がることができず、地球上の生命も存在し得なかったでしょう。
一見すると奇妙で非現実的な「壁のすり抜け」ですが、ミクロの波の性質がもたらすこの現象は、私たちの手のひらの上のスマートフォンから夜空に輝く恒星まで、この世界を物理的に動かしている極めて本質的な法則なのです。
お役立ち情報
- 日本物理学会 公式ホームページ:物理学の普及と発展を目指す日本の代表的な学会です。一般向け・学生向けの物理の面白さを伝えるイベントや小冊子の紹介があります。
- 理化学研究所 (RIKEN) 創発物性科学研究センター (CEMS):量子効果を用いた半導体素子や新材料など、最先端のナノテクノロジーと物性物理の研究成果を分かりやすく発信している研究所の公式サイトです。
- 東京大学 物性研究所 走査型トンネル顕微鏡 (STM) の解説:原子を直接観察する顕微鏡の仕組みや、トンネル効果を用いた研究の最前線を学べる東京大学の研究所サイトです。